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史料纂集古記録編 第149回配本 勘仲記1〔オンデマンド版〕 (しりょうさんしゅうこきろくへん149 かんちゅうき1)
本体10,000円+税
初版発行:2023年7月31日 A5判・並製・カバー装・306頁 ISBN 978-4-8406-3252-2 C3321
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【内容説明】■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。
●第一冊等に収録の建治元年十・十一月記、同二年春記は初翻刻。他の記事にも大幅な修正を施した。
■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。
■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。
〔収録範囲〕
①1274年〔文永11〕~1277年〔建治3〕
■勘仲記を読む(第1冊収録分より)
■逆風、賊船を吹き帰す 文永十一年(一二七四)十一月六日条(85頁)
「晴、或人云、去比凶賊船数万艘浮海上、而俄逆風吹来、吹帰本国、少々船又馳上陸上、仍大鞆式部大夫郎従等凶賊五十余人許令虜掠之、皆搦置彼輩等、六日下、召具之、可令参洛云々、逆風事、神明之御加被歟、無止事可貴、其憑不少者也、近日内外法御祈、諸社奉幣連綿、無他事云々、」
【解説】対馬襲撃の第一報から断続的に蒙古襲来の情報がもたらされた。強風により蒙古の船は壊滅的な打撃を受けたとの伝聞が記されている。
■大殿、摂政の詔を蒙る 建治元年(一二七五)十月二十一日条(101頁)
「天晴、風静、今日鷹司大殿兼平、令蒙摂政詔給、此事自去年冬比、東風吹来歟、而再三御辞遁、御息前摂〔竹+録〕之時、父還任、先規頗稀、若依此事有御辞遁之気歟、今度事、一向東風吹来之故云々、殊大閤御方志申云々、昨日大理自仙洞為御使参入、申此事云々、」
【解説】藤原兼平の二度目の摂政就任は、鎌倉幕府の意向が強く働いたものであった。兼仲はこれを「東風吹き来たる」と表現している。
■江口の遊女朗詠す 建治元年(一二七五)十一月十二日条(148頁)
「江口下仕金寿朗詠、公頼・教頼・有経等朝臣助音、徳是・令月句等也、」
【解説】五節の舞姫の下仕には江口・神崎の美しい遊女四人が選ばれ、そのひとり金寿は殿上人たちを前に徳是・令月句の朗詠を披露した。
■南都七大寺閉門す 建治二年(一二七六)九月二十四日条(219頁)
「廿四日、乙卯、晴陰不定、参殿下、依南都寺社閉門事、勅使并長者御使明日可被下遣、左少弁忠世含勅語、南曹弁奉長者宣、忠世参奉其趣、予申次之、委細之趣、又仰遣定藤朝臣許也、其趣予注遣如此、」
【解説】興福寺の内部対立に端を発した悪党の処罰問題は、奈良の寺社や摂関家・朝廷・幕府を巻き込んだ騒動に発展した。
【目次】【所収】文永11年(1274)~建治3年(1277)
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