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史料纂集古記録編 第166回配本 勘仲記3
在庫あり

史料纂集古記録編 第166回配本 勘仲記3 (しりょうさんしゅうこきろくへん166 かんちゅうき3)

高橋秀樹・櫻井彦・遠藤珠紀校訂

キーワード:
藤原兼仲 / 広橋兼仲 / 文化 / 朝廷 / 元寇 / 宗教 / 鎌倉 / 芸能 / 古記録 / 政治 / 両統迭立 / 経済 / 宮廷儀式

本体13,000円+税

初版発行:2013年4月10日 A5判・上製・函入・288頁 ISBN 978-4-8406-5166-0 C3321



蒙古襲来前後の朝廷の様子や、持明院・大覚寺両統迭立など、重要な事件を目撃した実務官人の克明な記録を自筆本により翻刻

【内容説明】■史料纂集本勘仲記の特長
●自筆本を底本とする最善の本文を提供。
●断簡や逸文、日記本文が現存しない部分の日記目録も収録。
●墨継ぎや文字間隔、追筆・挿入・抹消に見られる兼仲の筆録意識を読み取るなど、最新の研究成果に基づく、最善の本文を提供。


■勘仲記とは
藤原(広橋)兼仲(一二四四—一三〇八)の日記。日記名は勘解由小路中納言兼仲の称に由来する。別名『兼仲卿記』。国立歴史民俗博物館に自筆本九十巻が所蔵されているほか、若干の断簡や逸文が伝わっている。日野流の広橋家は文筆の家として朝廷に仕え、兼仲の父経光の 『民経記』など、代々日記を残した。
 本記は将軍惟康親王の京都送還と久明親王の将軍宣下・関東下向など鎌倉幕府と朝廷との関係、持明院・大覚寺両統迭立、鎌倉後期の公家訴訟制度の実態と整備、摂関家の家政、畿内寺社や在地の動向、詩文・神楽、仏教説話的な言説等々、政治・経済・宗教・文化・芸能、さらに宮廷儀式と多方面にわたる十三世紀後半の一級史料である。
 とりわけ二度の蒙古襲来とその前後の京都の状況を知る重要な記事を多く含み、朝廷・寺社がこの事態にいかに対処したかを看取できる。

■藤原兼仲
父は経光、母は藤原親実の女。正嘉二年(一二五七)十四歳で叙爵し、治部少輔や摂関家の政所別当などを勤めた。兄兼頼が弘安三年(一二八〇)死去した後、家を継いで四十一歳で蔵人となり、弁官や亀山上皇の院司にもなった。正応五年(一二九二)に蔵人頭から参議となって公卿に列し、永仁元年(一二九三)には権中納言となったが、翌年、これを辞し、延慶元年(一三〇八)六十五歳で死去した。


【第三巻の見どころ】
●興福寺・春日社関係の記事(弘安5年12月21日条)
 興福寺衆徒の強訴で運び込まれ、法成寺に置かれたままになっていた春日社の神木がようやく帰った。延引されていた年中行事も行われるようになったが、興福寺と多武峯との争いの方は収まらず、兼仲はとばっちりを受けて放氏されてしまう。

●文庫と家の文書の管理(弘安6年6月19日・21日条)
 兄が亡くなり、家を継いだ兼仲に対して、3年後、家の文書管理を認める院宣と関白家御教書が出された。兼仲は早速吉田亭に付属する文庫に赴いて蔵を開け、虫払いをした。文書が「家」そのものであり、安堵の対象でもあった。

●鎌倉円覚寺の額(弘安6年10月22日条)
 鎌倉幕府の執権北条時宗から円覚寺に後宇多天皇筆の勅額が欲しいという申し入れがあった。しかし数ヶ月後、鎌倉からは時宗の危篤と出家、さらに死去の報がもたらされ、その穢れによって京都では神事が停止された。

●真言律宗の僧、叡尊の説戒(弘安7年3月18日・同年10月19日条)
 関白の兼平は、しばしば叡尊を招いて談義を聞き、説戒を受けた。後宇多天皇も受戒しているし、兼仲は叡尊の草庵にも赴いている。こうした信仰を背景に、叡尊は宇治川の網代の破却を求めたり、神社の人事に関与したり、朝廷への働きかけを行った。

【目次】【所収】弘安5年(1282)10月~弘安7年(1284)3月


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