出版物
史料纂集古記録編 第183回配本 兼見卿記5 (しりょうさんしゅうこきろくへん183 かねみきょうき5)
本体13,000円+税
初版発行:2016年4月25日 A5判・上製・函入・304頁 ISBN 978-4-8406-5183-7 C3321
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新発見の天理図書館所蔵の自筆原本を収録
織豊期の最重要史料!
【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。
神祇大副吉田兼見(一五三五−一六一〇)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。神事に関する記載のほか、変転する中央政界の情勢、特に信長・秀吉・家康らの有力武将達の動静に詳しく、社会および学芸等に関する記載も豊富で、安土桃山時代の最も重要な史料である。
〔収録範囲〕
1593〔文禄2〕~1595〔文禄4〕
新発見の天理図書館所蔵の自筆原本を収録し、全8冊として刊行する。
●本冊には、2002年に初めて存在が知られた天理大学天理図書館所蔵の自筆原本のうち、文禄2年から4年までの3年分を収録した。翻刻は原本の体裁を可能な限り反映させ、一部口絵写真も示した。吉田山下神竜院住職であった弟梵舜の日記『舜旧記』(史料纂集古記録編:完結)と併せ、この時代を知るうえでの重要記録となっている。
●前冊に続き太閤秀吉と関白秀次に関わる政治情勢に詳しい。朝鮮出兵は続いており、豊臣伝奏をはじめ公家たちも肥前名護屋と京都の間を往還している。このほか秀吉の諸大名第への御成、東山大仏建立などの豊臣政権の動向に関係する記事を多く収める。
●秀次との関係は近く、彼の施政や文化事業についての記事を多く収めるとともに、子女たちの病平癒祈?と夭折、息女八百姫の命名など、彼の家族に関する記事も豊富である。このため、文禄4年7月に発生した、秀次が謀叛の嫌疑を受け切腹に至る「秀次事件」について、その発覚から、秀吉・秀次の行動、側室・子女たちの処刑、菊亭晴季の配流に至る事件の一連の経緯、この騒動にともなう洛中の混乱などの記事にも詳しく、事件を知る上で不可欠の史料となっている。
●神道関係では、正親町院崩御の諒闇をめぐる後陽成天皇の服喪に関わる清祓を勤め、この行法関係の記録を詳細に残している。また宇喜多秀家室(秀吉養女、前田利家息女)の産褥平癒祈念のため初めて北斗祭を修することになり、洛中洛外の注目を集めるなど、吉田神道興隆に尽力した様子がうかがえる。
●私生活・家族では、文禄2年正月より嫡男兼治に家督を譲り、山内の別邸に移った。同4年には孫(のちの兼英)が誕生し、兄の慶鶴丸(のちの萩原兼従)は着袴を迎える。いっぽう最愛の孫女満は公家阿野実顕に嫁ぎ、兼見夫婦は彼女の婚儀の支度に心を砕いた。さらに越後上杉景勝の重臣直江兼続の息女満御料人が兼治の猶子となるなど、家族にも様々な変化がおとずれている。
●長岡幽斎、毛利輝元、島津義久・義弘、徳川家康ら有力大名との交流など、交友関係にも見るべき点が多い。家康が何度か吉田を訪れるなど、二人の関係が急接近したのも本冊の期間である。また幽斎は文禄4年以降吉田山内に随神庵を営み移り住んだことにより、その動向がより詳細に記され、兼見も彼の交際圏に包まれてゆく。碁打本因坊算砂らとの交友もそのひとつである。
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