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史料纂集古記録編 第172回配本 新訂増補 兼見卿記2 (しりょうさんしゅうこきろくへん172 かねみきょうき2)

斎木一馬・染谷光広校訂/金子拓・遠藤珠紀新訂増補版校訂

キーワード:
織田信長 / 明智光秀 / 兼見卿記 / 豊臣秀吉 / 織田信雄 / 前田玄以 / 徳川家康 / 吉田神道 / 本能寺の変 / 吉田兼見

本体13,000円+税

初版発行:2014年5月20日 A5判・上製・函入・266頁 ISBN 978-4-8406-5172-1 C3321



神祇大副吉田兼見(1535~1601)の日記
長らく品切であった第1・第2を全面改訂し、復刊!

【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

神祇大副吉田兼見(一五三五−一六一〇)の日記。兼見は吉田神道の宗家、吉田社神主の家職を承けて神道管領長上を称し、全国の神職に対して、補任その他神道伝授等につき絶大なる権勢があった。神事に関する記載のほか、変転する中央政界の情勢、特に信長・秀吉・家康らの有力武将達の動静に詳しく、社会および学芸等に関する記載も豊富で、安土桃山時代の最も重要な史料である。

〔収録範囲〕
1582〔天正10〕~1584〔天正12〕


 新訂増補と続刊の辞

 本書は、続群書類従完成会より、斎木一馬氏・染谷光廣氏の校訂で刊行された。第1は昭和46年に、第2は同51年に刊行され、同62年にそれぞれ重版がなされた。織豊期における重要な古記録のひとつとして続刊刊行が学界から強く要望されながら校訂者のご逝去などもあり、中絶したまま約40年を経過し重版からも25年以上が経過している。
 この間、天理大学附属天理図書館に吉田兼見自筆にかかる『兼見卿記』原本12冊(文禄2年から慶長14年まで)が収蔵され、同館の岸本眞実氏により『ビブリア』に全文が紹介されたことにより、あらためて同記の重要性に対する認識が高まっている。
 このたび、天理図書館所蔵本を含め『兼見卿記』(全6冊)の刊行を再開する運びとなった。続刊再開にあたり、既刊2冊についても品切れ状態が続き、入手困難な現状をふまえ、学界・研究機関の要望に応えるべく新訂増補版として新たに刊行することとする。
 今回の改訂にあたり、近年の研究の進展を受け、傍注・標出を中心とする改訂を全面的におこない、需要に応ずることとした。
新訂補注などの修正箇所
 第1 1,265箇所
 第2 1,168箇所


●本能寺の変における朝廷黒幕説の有力根拠としてあげられた天正10年の別本・正本二種の日記を収める。

●この期間(天正10~12年)まとまった公家の日記がほとんどないなか、唯一まとまった日記として、朝廷の動向を知ることができる希有の史料。

●信長没後、羽柴秀吉と柴田勝家との対立と勝家の滅亡、秀吉と織田信雄・徳川家康との対立と和睦など、関白になる直前までの秀吉が覇権を握る過程を克明にたどることができる。また前田玄以らとの交流を通し、秀吉の京都支配の末端までの動きがわかる。


○近衛前久信長に従い甲斐に出陣
○武田勝頼父子及び同信豊の首京着し獄門に梟す
○信長光秀に家康の接待を命ず
○光秀本能寺に信長を襲う
○光秀近江を攻め安土に入城
○光秀謀叛の存分を語る
○廷臣等悉く光秀を出迎う
○秀吉山崎に出陣
○安土城自焼
○光秀一揆に討取らる
○洛中洛外の諸家鼓騒して秀吉に礼問す
○蓮台野において信長の葬儀を行う
○公家衆所領につき秀吉長秀連署の折紙を呈す
○兼治の蔵人参勤は迷惑
○藤孝の女兼治へ婚嫁のため上洛す
○柴田勝家近江に出陣
○中川清秀戦死
○秀吉美濃より出陣江北に勝家を破り越前に攻入る
○大徳寺に信長一周忌法要
○妙顕寺屋敷普請に川原者を徴さる
○兼和これを拒み前田玄以に訴う
○山科言経犬を食いし者及び同合火又合火の者の社参の事を問う
○織田信雄老臣岡田重孝らを成敗す
○家康秀吉の敵となるにより前久秀吉を恐れ逼塞
○尾張に秀吉の軍敗れ池田恒興ら戦死
○京都七口を固め往来人を検問


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