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史料纂集古記録編 第165回配本 兼宣公記2
在庫あり

史料纂集古記録編 第165回配本 兼宣公記2 (しりょうさんしゅうこきろくへん165 かねのぶこうき2)

榎原雅治・小瀬玄士校訂

キーワード:
後小松上皇 / 足利義満 / 足利義持 / 室町時代 / 武家伝奏 / 広橋兼宣 / 室町幕府 / 一条兼良

本体13,000円+税

初版発行:2012年11月25日 A5判・上製・函入・260頁 ISBN 978-4-8406-5165-3 C3321


【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

本記は、贈内大臣広橋兼宣(一三六六-一四二九)の日記で、一名『宣記』『後瑞雲院内相府記』ともいう。兼宣は仲光の子で、応永三十二年准大臣となり、同年出家して常寂と号した。日記の伝存するものは、至徳・明徳・応永・正長年間に属す。兼宣は、伯母が崇賢門院で、足利義満および義持に忠勤して栄達したので、その記事は、室町時代初期の政治・社会の研究に重要な史料とされる。

〔収録範囲〕
1423〔応永30〕~1424〔応永31〕
兼宣公記は室町中期の公卿広橋兼宣の日記で、至徳元年(1384)から応永35年(1428)までの日次記・別記の翻刻。

『兼宣公記』は室町中期の公卿広橋兼宣(1366-1429)の日記である。至徳元年(1384)から応永35年(1428)までの間の日次記や別記が残り、室町幕府安定期を代表する公家日記の一つである。応永29(1422)年以前の部分が1973年に史料纂集『兼宣公記第一』として刊行されたのち、刊行が中絶していた。原本の写真は東大史料編纂所で公開されていたが、墨の剥落が進んで判読しにくいうえに別記が多いために全容を把握しにくく、長らく続巻の刊行が待たれていた。
 このたび国立歴史民俗博物館、広橋家、下郷共済会に所蔵される原本、宮内庁書陵部に所蔵される写本を底本として第二巻を刊行する。収録するのは応永30年、31年分である。兼宣は伝奏として公武の中枢にいた人物であるため、政治史の基本史料であるだけでなく、和歌、連歌、猿楽など文化史的にも豊富な内容をもっている。


広橋兼宣とは
広橋兼宣は、大納言仲光の子。貞治5年(1366)生。弁官、蔵人頭、参議、権中納言などを経て大納言となった。応永32年に致仕、准大臣に任ぜられて出家した。応永8年より長く武家伝奏を勤め、足利義満・義持期の公武交渉に重要な役割を果たした。おばの崇賢門院が後小松上皇の祖母として長く健在であったため、上皇の信頼も厚く、しばしばその文芸行事や遊興に参加している。


『兼宣公記』の記主広橋兼宣は伝奏として頻々と後小松上皇、足利義持のもとに出仕していたため、同時期に並行して残る他のどの日記よりも二人の動静が詳しく書き記されている。二人の間を一日のうちに何度も往復し、連日のごとき酒宴に閉口しつつ連絡調整に努めている姿は、さながらに秘書官の公用日記の観を呈している。また親子間の不協和音に苦しむ後小松や、緊張感の中にも後小松にさまざまな気遣いを見せる義持の姿など、公武の頂点に立つ二人の人間的な側面をうかがうことができる点は、他の日記では得難いものである。
形態的には、具注暦を用いた部分、用いない部分、別記など多様な形となっているが、多くは自筆原本が残されている。後小松の自筆女房奉書をはじめ、兼宣のもとに到来した書状が貼り継がれているのも特色で、義持、一条兼良、洞院満季、清原良賢らの自筆書状を見ることができる点でも貴重である。未紹介の後小松御製や義持の詠歌も載せられている。

第1は、1973年に刊行され長らく刊行が中絶されていました。このたび、39年ぶりに続刊となります。

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