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史料纂集古記録編 第168回配本 楽只堂年録2(全10冊予定) (しりょうさんしゅうこきろくへん168 らくしどうねんろく2)
【収録期間】元禄9年(1695)~元禄12年(1699)
本体13,000円+税
初版発行:2013年6月25日 A5判・上製・函入・296頁 ISBN 978-4-8406-5168-4 C3321
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徳川第5代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保の公用日記!
【内容説明】●『楽只堂年録』は柳沢吉保の号、楽只堂にちなんで命名された、吉保の公用日記。初の全文翻刻。
●吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709)1月10日の徳川5代将軍綱吉薨去後、致仕を許され、同年6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでを記録。
●柳沢吉保の生涯は、周囲の嫉妬も手伝いまげて伝えられてきた。本書の刊行によって、吉保本人は勿論、犬公方として悪名高い綱吉の実像、幕臣達や吉保一族の動向、柳沢家と公家衆との文化交流、大奥の女性の生活等、『徳川実紀』や『寛政重修諸家譜』などから浮かび上がってこない貴重な事実を知ることが出来る。
●江戸期、特に元禄時代を中心とした時代の文化、文芸、歴史を研究する者にとっては必読の一級史料である。
柳沢吉保(1658-1714)とは…
柳沢吉保は、徳川五代将軍綱吉の側用人として奉公し、綱吉の寵愛を受け大老格という破格の出世を遂げた。吉保は館林藩主であった綱吉に仕えていたが、延宝8年(1680)、綱吉の将軍就任に伴い幕臣となり、以降、寵愛を受け頻繁に加増され、松平の家号を許され、綱吉の偏諱を与えられた。儒学の上では綱吉の一番弟子であり、文芸、ことに和歌詠作にも熱心であり、公家とも交流を行っていた。宝永6年(1709)綱吉薨去後は、嫡男吉里に家督を譲ると駒込の下屋敷六義園に隠遁し、正徳4年(1714)没した。
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