出版物
史料纂集古文書編 第42回配本 石清水八幡宮社家文書(全1冊) (しりょうさんしゅうこもんじょへん41 いわしみずはちまんぐうしゃけもんじょ)
承安元年(1171)~寛永13年(1636)189点収録 編年目録・解題付
本体13,000円+税
初版発行:2009年8月25日 A5判・上製・函入・264頁 ISBN 978-4-8406-6042-6 C3321
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“天下第二の宗廟”石清水八幡宮の社家文書と室町・戦国期の引付史料を収載した中世史料集
【内容説明】伊勢神宮に次ぐ、天下第二の宗廟と尊崇された京都の石清水八幡宮は、神仏同体に基づき、神社と寺院の併存する宮寺を組織運営上の母体としていた。現存する神社文書としては、質と量において白眉といわれる。ただし、神仏分離以前より、大量の古文書・古記録が社外に流出したことも事実である。そこで、本書は、近世に写されて正文が紛失したもの、かつて社家が所蔵していた正文や案文といった原本などを収載した。
各史料には、人名・地名等の傍注や校訂注の他に、要点を記した頭注を付した。既刊の史料集と併せて本書を活用することで、特に社家領を基盤とする石清水八幡宮の荘園史や境内「八幡」の都市社会史に加えて、幕政を中心とした政治史に新知見を得ることできる。
石清水八幡宮の社家とは
八幡宮創建の大安寺行教和尚の出自、紀氏の血脈につらなる顕密僧で、神宮寺の護国寺別当に補任された寺家である。本来、長吏や惣官と称された社務検校職であったが、南北朝期以降は、社家の呼称が定着した。石清水の社家は、鎌倉時代前期には、田中家と善法寺家とに別当家が二分され、その後、田中家からは宇美宮と竹の両家が生まれ、善法寺家からは新善法寺・壇・平等王院などの家が分かれた。また田中家は朝廷御師職、善法寺家は足利将軍家御師職に就き、ともに門跡の号を許された。石清水八幡宮寺は、このような複数の社家の家政機構による連合体であった。したがって、本書においても、荘園所領の寄進や安堵、および諸職の所務に関する文書が多く収載されている。
■『石清水八幡宮社家文書』の特色 國學院大學栃木短期大学教授 鍛代敏雄
石清水八幡宮の古文書は、東京大学史料編纂所編『大日本古文書 家わけ第四 石清水文書』(全六巻)として、八幡宮が現在所蔵する田中家文書と菊大路家(旧善法寺家)文書が公刊された。神社文書では、全国有数のものと、その歴史的な価値は高く評価できる。その外にも、田中家文書(『石清水八幡宮文書外 筑波大学所蔵文書(下)』:史料纂集古文書編)や善法寺家文書(『奈良国立文化財研究所史料第七冊 唐招提寺史料』第一)等の史料集が刊行利用されている。
石清水八幡宮社家文書と題した本書は、未刊史料を六割程含む金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵の善法寺家文書、まとまった形では初めて公刊される天理図書館所蔵の竹家文書、同じく林泰氏所蔵の新善法寺家文書の計189点を収載した。
加賀藩で写された善法寺家文書は、元暦元年(1184)から至徳元年(1386)に至る200年間のもので、従来の菊大路家文書と併用することにより、善法寺家領がほぼ復元できる。また竹家文書からは、院主を務めた東宝塔院領に関し、新知見が得られる。さらに、新善法寺家文書は、点数は少ないが、全文書が正文であり、掲載した文書のほとんどが新出文書になる。断片的ながらも、室町幕府からの寄進地安堵や僧綱任叙の口宣案など、あらためて確かめられる。なお、参考史料として掲載した善法寺家引付は、永享5年(1433)、文安6年(1449)、永正5年(1508)、大永7年(1527)の各単年度の日記抄だが、室町・戦国期の畿内政治史を補完する貴重な古記録ということができる。
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