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史料纂集古記録編 第140回配本 太梁公日記1(全8冊予定)
在庫あり

史料纂集古記録編 第140回配本 太梁公日記1(全8冊予定) (しりょうさんしゅうこきろくへん140 たいりょうこうにっき1)

発行:続群書類従完成会

前田育徳会尊経閣文庫編・長山直治校訂

続群書類従完成会発行

本体12,000円+税

初版発行:2004年9月 A5判・上製・函入・328頁 ISBN 4-7971-1320-0 C3321



【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。

加賀十一代藩主前田治脩(太梁公)の自筆日記で、治脩が藩主になる直前の、明和八年(一七七一)四月から安永四年(一七七五)四月におよぶ四十冊が現存。江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、大名や一族との交際・藩政・日常生活等、公私にわたる。また、治脩の家督相続の事情、藩内の財政・人事も詳細に知ることができ、道中日記により参勤道中の様子も窺うことができる。

〔収録範囲〕
1771〔明和8〕~1772〔明和9〕
○重教養子願不許可により相続願に改む
○老中奉書にて重教名代松平頼済と治脩の登城を命ぜらる
○将軍上意を以て重教の隠居と治脩の家督を申付けらる
○将軍に御目見
○年寄等治脩入国の上跡目仰出すよう僉議
○前田利尚の三千両借用願を断る
○帰国発途につき重教等へ暇乞い
○野尻湖の絶景を観る
○江戸詰家老前田知定の後任につき年寄に再僉議す
○細工者小頭召抱の事
○小松表騒動未だ落着に到らず
○百姓徒党禁制の領国制札を立つるよう指示
○石川郡大平沢村疫病につき貸米を出願
○今年の作体加賀越中は大体能登は旱損
○算用場奉行を呼出し三日市町村等の百姓騒擾につき尋ぬ
○目見以上の者の系図帳調様の見本を持参
○大坂詰人の交代を申付く
○算用者不足につき算用場奉行より召抱願
○有栖川宮より内情援助の書状来る
○金沢の天気荒気色にて江戸の好天羨し
○謀書謀判の者の処罰の調書を提出
○通称と諱・役職名等の対照表

【著者】長山直治
金沢市出身。金沢大学教育学部卒業、県内各地の県立高校教諭を歴任。石川県立図書館(古文書課) 金沢市史専門委員。2003年石川県立工業高等学校教諭を定年退職。
主要著書・論文:『寺島蔵人と加賀藩政−化成天保期の百万石群像−』(桂書房,2003;泉鏡花記念金沢市民文化賞受賞)
『太鼓役者の家と芸−金沢・飯島家十代の歴史-』(飯島調寿会,2005)
「加賀藩十代藩主前田重教の隠居と治脩の家督 上・下」(2004/2005,『ぐんしょ』66/67)
「能と藩主−加賀十二代藩主前田斉広の場合−」(1994,『石川郷土史学会誌』)
「葛巻昌興日記に見る前田綱教の能稽古の端緒」(1996,『石川郷土史学会誌』)他

江戸時代中期の大名当主の日記として大変貴重な自筆本の初の全文翻刻である。

『太梁公日記』
加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが;1745-1810)の日記で、自筆原本は(財)前田育徳会尊経閣文庫の所蔵。現存するものは、40冊。治脩(はるなが)が藩主になる直前の、兄重教(しげみち)の隠居願が幕府に提出された明和8年(1771)4月16日から書き始められ、4年後の安永4年(1775)4月19日で終わっている。
 本日記は、かつて『加賀藩史料』や『金沢市史』に部分的に引用・翻刻されたが、全文の翻刻は、今回の史料纂集本が初めてである。

前田治脩(はるなが)とは
 加賀藩11代藩主(太梁公は諡)。延享2年(1745)、6代藩主吉徳(よしのり)の十男として金沢に生まれる。同3年に僅か2歳にして越中国国府の浄土真宗本願寺派の勝興寺の住職に定められ、宝暦6年(1756)同寺に移り住職となる。治脩は、藩財政の立直しと、士風の退廃に対処して忠孝節義を重視し、藩校を建設するなどしたが、天明5年(1785)、隠居した兄:重教が勝手方を親裁して家中救済・綱紀粛正をはかる「御改法」を行った。享和2年(1802)に隠居し、文化7年(1810)金沢で死去。

内容説明
 江戸幕府との交渉や江戸城内での儀礼、諸大名や一族と交際、藩内の年寄などからの藩政に関する伺いとそれに対する指示、寺社への参詣、遊興や日常生活など公私にわたって克明に記述されている。中でも隠居した先代の重教との関わりを示す記事が多く、とくに在府中は、朝のご機嫌伺いから始まり、日中は鞠・能・弓・鉄砲乗馬・騎射・鳥刺などの相手を勤め、夜は食事の相伴をするなど、親密にして恭敬な態度で接している。
 『太梁公日記』は、治脩が藩主としての心覚えとして書き始められたものと考えられるが、所々に記主治脩の感想が記され、かれの人柄が偲ばれる。また、重教の隠居と治脩の家督相続の経緯、藩内の財政事情や相続に伴う藩内人事も詳細に知ることが出来る。
 加賀藩の政治史は勿論のこと、当時の政治・社会・経済・文化・芸能・交通史の研究に貴重な史料を提供してくれる。


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