出版物
史料纂集古記録編 第48回配本 義演准后日記1 (しりょうさんしゅうこきろくへん48 ぎえんじゅごうにっき1)
発行:続群書類従完成会
続群書類従完成会発行
本体7,400円+税
初版発行:1976年 A5判・上製・函入・329頁 ISBN 4-7971-0328-0 C3321
ネット書店で購入
豊臣秀吉の帰依を受け、醍醐寺を造営した三宝院義演の日記
【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。
二条晴良の子、足利義昭の猶子、醍醐寺義演(一五五八−一六二六)の日記。秀吉の帰依をうけ、北政所・秀頼の外護により醍醐寺を造営した。本記は、慶長元年から寛永三年におよぶもので、当時の寺院の修法や行事等に詳しいのは勿論、近世初期の政治情勢を窺うべき記事が豊富である。また庭園や建築の歴史を究める上で不可欠の史料とされ、慶長三年の醍醐の花見の記事は夙に有名。
〔収録範囲〕
1596〔文禄5〕~1598〔慶長3〕
○三成東南院縁起を所望し奥五行を切取る
○醍醐郷にて高野聖殺さる
○秀吉近衛信輔菊亭晴季の赦免を下知す
○秀頼初度上洛家康以下諸大名供奉
○明使伏見参着
○明使節上洛のため武者揃用意
○大地震京都死者無数
○伏見城被害
○秀次誅戮
○秀吉耶蘇教徒廿七人を処刑
○秀吉醍醐寺五重塔修理を命ず
○秀吉朝鮮出兵
○善光寺如来方広寺に遷座
○群集如来に参詣す
○二条昭実に満済准后日記披覧
○足利義昭歿す
○高麗より耳鼻樋送来りこれを塚に埋め施餓鬼を修す
○関東真言宗と本山方山伏相論
○高麗国王子三人帝王弟を捕え連帰る
○上杉景勝会津へ転封
○醍醐の花見
○太田牛一来る
○十二類会上巻を買戻す
○秀吉不例平癒のため禁中にて大元帥法を修す
○秀吉死期を覚り諸方へ金銀を贈る
○浅野長政ら五奉行に後事を托す
○前田玄以より新知拝領の沙汰あり
○玄以に境内指出を提出
○応其東寺講堂建立を指揮
○義演伏見に家康を訪う
○義演秀吉の恩を深く謝す
ネット書店で購入