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史料纂集古記録編 第17回配本 経覚私要鈔1 (しりょうさんしゅうこきろくへん17 きょうがくしようしょう1)
発行:続群書類従完成会
続群書類従完成会発行
本体4,800円+税
初版発行:1971年 A5判・上製・函入・286頁 ISBN 4-7971-0297-7 C3321
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【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。
奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。
その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。
【経覚(1395-1473)】
応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。
〔収録範囲〕
1415〔応永22〕~1448〔文安5〕
○足利義持南都下向
○山名持熙上洛を企つ由風聞す
○尋尊所労につき一条兼良の使者下向す
○東大寺衆徒山上隆胤美濃大井庄下司職につき惣寺と確執す
○管領畠山持国経覚に上洛を命ず
○持国経覚の大乗院門跡安堵の事を足利義勝に執奏す
○筒井実順切腹筒井城落城
○元興寺領人夫を徴し所々に堀を穿つ
○経覚小泉重弘越智春童丸をして筒井順永成身院光宣を撃たしむ
○天王寺に金色の蛇現るとの説
○六方衆東大寺発向を南都七郷に下知す
○越前坪江郷請口六十五貫に香西負う
○長谷寺は大乗院門跡管領とすべし
○三宝院満済は経覚の恩人なり
○加賀守護職につき富樫教家と弟泰高係争す
○畠山持国教家を扶け細川勝元泰高を扶く
○諸国軍勢上集
○山城近江河内等馬借の要請により徳政を沙汰す
○馬借一揆奈良に押寄す
○京都の紛争天下重事に及ぶとの風聞
○持国持富を廃し義就を惣領に立つ
○春日社造替用脚一国平均棟別賦課を東大寺郷拒否す
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