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史料纂集古記録編 第72回配本 経覚私要鈔5〔オンデマンド版〕 (しりょうさんしゅうこきろくへん72 きょうがくしようしょう5)
1985年発行
本体10,000 円+税
初版発行:2014年1月30日 A5判・並製・カバー装・310頁 ISBN 978-4-8406-3269-0 C3321
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【内容説明】『史料纂集』は、史学・文学をはじめ、日本文化研究上必須のものでありながら、今日まで未刊に終っていた史料を中核とし、さらに既刊のものでも、現段階において全面的に改訂を要することの明らかなそれを加えて、学界最高の水準で公刊するもの、『大日本古記録』と相並び相補う形で、各時代未刊重要史料の集成の実現をはかるものであります。
奈良興福寺大乗院別当第18世門主経覚(1395~1473)の日乗。『私要鈔』の名は、原本の表紙に題せられたところである。原本は、独立行政法人国立公文書館に所蔵され、欠年もあるが、応永22年(1415)から文明4年(1472)までが現存。
その内容は、興福寺内の寺務・寺領支配から国人の動向、大和の情勢、京都の動静にまでおよび、朝幕関係から幕府内部の動向も書かれている。嘉吉の乱から応仁・文明の乱勃発の時期までの政治・社会・経済史研究の一級史料である。
【経覚(1395-1473)】
応永2年(1395)、関白九条経教の子として誕生。同14年に出家し、同17年に大乗院門跡となる。同33年に興福寺別当となり、永享3年(1431)・寛正2年(1461)・文明元年(1469)の都合4度別当に補任されている。この間、 幕府の命に抗して隠居したこともあるが、幕府要人とは良好な関係を結び、将軍足利義教、管領畠山持国、三宝院満済などの交誼を得ている。経覚は、大乗院門跡・興福寺別当という興福寺の実力者として、大和国内にも影響力をもった。文明5年(1473)、79歳で寂す。
〔収録範囲〕
1461〔寛正2〕~1462〔寛正3〕
○幕府斯波義敏扶持の咎により大内教弘追討を令す
○筒井古市ら土一揆退治のため河内に赴く
○義政大和の衆徒国民をして畠山義就追討軍に参加せしむべき旨尋尊に令す
○義政経覚の興福寺別当再任執奏を諾す
○経覚別当三度再任
○畑経胤を越智家栄の許に派し年貢を催促せしむ
○神木犯穢の百姓治罰のため神人を松南院領に下す
○義就勢河内広川に政長の陣を夜襲す
○猿人の子を生むとの風聞
○河原者善阿奈良に下り検知す
○経覚茶会を催す
○雷鳴のため雁多数落死一羽を百文にて売る
○山城木津庄百姓ら番頭米を対捍し逃散して天神山に篭り路を塞ぎ嗷訴を企つる
○畠山政長方義就の河内嶽山城を攻めんとす
○義政若王寺に観花遊覧し連歌を興行す
○畠山義就山名勢を襲撃す
○元興寺の仁王像足より出火す
○楠葉元次来り河内合戦の様を報ず
○幕府軍に利あらず
○幕府飯尾貞元を南都奉行となす
○日野富子安産祈祷千句連歌会
○河内金胎寺城落城す
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